秋篠宮殿下のお誕生日にあたっての記者会見の報道で、多くのマスコミは、殿下が天皇「定年制」が必要との認識を示されたとして、大きく報じた。 だが、これには首を傾げる。 報道されたのは、ご会見の関連質問の中で、 記者が「ある程度の年齢になれば(天皇陛下の)ご公務というのを減らして、国事行為に専念していただく」 という制度を「定年制」と呼んだ上で、そういったものが必要ではないかーと多少、誘導尋問めいた質問を行ったのに対して、お答えになったもの。 殿下の実際のお答えは、マスコミの報道とはかなりニュアンスが異なる。 そのお答えは、以下のようだった。 即ち、「今おっしゃった定年制というのは、やはり必要になってくる」と一旦は同意を与えられたように見えながら、直ちに「というか」と方向を転じて、 「それは一つの考えだと思いますけれども」と、 慎重に一歩引いた立場を示され、 「人によって老いていくスピードは変わる」ので「それをある年齢で区切るのか、どうするのか、そういうところも含めて議論しなければいけない」 と結論付けられている。 定年とは、改めて述べるまでもなく、ルールによって退官・退職する決まりになっている年齢のこと。
文字通り、退官・退職すべき年齢を定めるという話だ。 だから当然、一定の年齢を定められなければ、とても定年制とは言えない。 ところが殿下は、記者を慮って穏やかな表現を選ばれつつも、その一番肝心要の「ある年齢で区切る」ことそのものに、はっきりと疑問を唱えておられる。 殿下のご発言の文脈を少し丁寧におさえれば、陛下のご公務の負担軽減は願われながらも、記者が言う「定年」制には安易に賛同出来ない、 とのお立場を明らかにされたと受けとる他ないはずだ。 にも拘らず、多くの報道は、殿下のご発言の文脈や主旨を正確に踏まえず、冒頭の部分だけを切り取ってタイトルに使ったり、 更に、今の憲法下で天皇陛下以外の皇族にも代行可能なご公務に限定したやり取りであることすら分からなくした報じ方が、目立った。 読者や視聴者をミスリードする、タチの悪い誤報であり、虚報と言うべきだ(このあたり『朝日新聞』の報道が最も冷静正確だった。 但し、例によって敬語は皆無)。 しかも、私がより問題だと思うのは、「定年制」という用語そのものだ。 天皇陛下に関わって、もし敢えて定年制という言葉を用いるなら、それは「天皇」という地位そのものから離れられることを意味するはず。 定年という語の通常の用法に照らせば、一般にはそれ以外には受け止められないだろう。 ところが、質問に出て来ているのは、ご公務を他の皇族方に分担して頂いて、国事行為に専念して頂こうという話だ。 前提知識を少し整理すれば、天皇陛下のご行為については、3種類に分けられる。 1つは、憲法に定める国事行為。 言うまでもなく、憲法上、最も重視されるのは、この国事行為だ。 それから2つ目は、公的な行為。 国会開会式への行幸、宮中晩餐会の主宰、国民体育大会などでの地方ご訪問、外国ご訪問、園遊会や一般参賀の際のお出まし等々は、皆この公的行為だ。 3つ目は、その他の行為。 これには、公的性格が比較的強いものから私的色彩の濃いものまで、様々な行為が含まれる(単なる私的行為と一括出来ないので要注意)。 記者の質問での「定年制」とは、これらの中で、主に公的行為やその他の行為で公的性格の比較的強いものについて、 陛下が一定の年齢になられたら、他の皇族方で分担出来る制度は考えられないか、という話に過ぎない。 憲法上、最重要で、陛下だけがなさることが出来る原則となっている国事行為については、特段の変更は予想されていない。 況んや「天皇」という地位そのものから退かれるのでも、勿論ない。 ならば、普通「定年制」という言葉によって想像されるところとは、その実態において、全くかけ離れている。 国事行為以外のご公務限定の場合でも、秋篠宮殿下が的確に指摘されたように、本質的な問題を孕む。 だが、それ以前に「定年制」という呼び方自体、不適切至極と言わねばならない。 皇室を巡る報道には、常にこうした歪曲や逸脱がつきまとう。 十分な注意が必要だ。 なお、「女性宮家」創設につき、宮内庁サイドから首相に要請があったことが報じられた直後の記者会見で、殿下が 「現在の皇室というものをそのまま維持していくためには、やはり…ある一定の数というのは当然必要になってくる」 と明言されたことは、すこぶる意味深い。
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